写真と音でつづる 創業者「早川徳次物語」
1893~1901年
- 早川徳次の生い立ち
1901~1912年
- 初めて触れる世間は「仕事」と「人情」の教室
1912~1914年
- 1912年(大正元年)9月15日、独立開業。自分の力で歩み出す
1915~1923年
- 「早川式繰出鉛筆」の発明
(
音声あり)
1915~1926年
- 売れるまでは何があっても絶対に諦めない
(
音声あり)
1923年
- 運命の9月1日。すべてを失う
(
音声あり)
1924年
- 新天地大阪で再起をかける
1925~1928年
- 「これだ!」ラジオ時代の到来を直感
(
音声あり)
1926~1935年
- 製品だけでなく、販路開発にも先見の明
1929~1931年
- ラジオメーカーとして成長する
1936~1937年
- 新型コンベアを開発、効率生産をはかる
1937年
- 自身の不遇を思い、後進へ少しでも学びの場を
1937~1945年
- 戦時下にあっても、つねに事業継続のための努力を
1945年
- 終戦。戦後復興へ、まずは修理奉仕から
1950年
- 目の不自由な人への恩返し。特選金属工場を設立
1951~1953年
- 「次に来るのはテレビジョンだ!」の予見から20年。長年の悲願を実現
1952年
- 世界の社会事業家を唸らせた奉仕の精神
1953年
- テレビはやがて「一家に一台」の時代へ。 徳次の確信
1954年
- 未来を築く子供たちの笑顔を見るために、<保育所の開設>
(
音声あり)
1954年~
- 海を越えたビジネスの友は、やがて奉仕の友に
1959年~
- 「最大の課題は太陽の熱と光を利用すること」―未来を予見
1962年~
- 「他社がまねするような商品をつくれ」
(
音声あり)
~1980年
- つねに一歩先を見つめて進んできた人生
映像でつづる 「創業者のこころざし」
シャープミュージアム(奈良)にて放映中の映像『創業のこころざし』より抜粋