1915〜1926年

売れるまでは何があっても絶対に諦めない

徳次は兄とともに「早川兄弟商会金属文具製作所」を設立しました。しかし、「早川式繰出鉛筆」は少し時代の先を行き過ぎていたのかも知れません。
当初、文具問屋からは批判的な声ばかりが聞こえ、まったく売れませんでした。
ヒットは意外なところから始まります。第一次大戦によるヨーロッパでの品薄がきっかけで、横浜の商館から大量注文が舞い込んだのです。優れた品質が認められて、欧米の市場で「早川式繰出鉛筆」は引っ張りだこに。さらにその噂が国内にも広まって、国内の問屋からも次々に取引の申し入れがやってきました。
さらに「早川式繰出鉛筆」は極細芯にして、いよいよヒット商品となり、名称も「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」に改めました。これが、後の社名「シャープ」の由来となりました。
なお、「早川式繰出鉛筆」は国内はおろかアメリカでも特許を取得しています。

1915〜1926年