1923年

運命の9月1日。すべてを失う

シャープペンシルで事業は急成長。工場を増やすと同時に、作業の効率化をはかるべく、流れ作業の導入や、高性能な輸入機械の設置を行い、従業員が200名を越える事業規模になりました。
そんなある日、東京を未曾有の大地震が襲いました。関東大震災です。東京一円を襲った大火で、徳次は工場と、そしてなにより大切な二人の子供を亡くし、やがて妻も大やけどを負って他界してしまいます。窮地に追い討ちをかけたのは、早川兄弟商会の存続が危ういと見た取引先からの、特約契約金を含む借金の返済要求でした。
徳次は兄と話し合い、早川兄弟商会を解散して、残った機械類や事業そのものをその取引先に譲渡して、負債処理に充てることにします。さらに事業譲渡のために、残った従業員と自らがシャープペンシルの技術指導を行うべく、譲渡先の大阪の会社に行くことになりました。徳次はまさに身ひとつで、大阪へやって来たのでした。

1923年