1925〜1928年

「これだ!」ラジオ時代の到来を直感

日本でも、翌1925年にラジオ放送が開始されるという新聞記事が頭の隅に残っていた徳次は、所用で出かけた心斎橋にある遠縁の石原時計店を訪ね、運命の出会いを得ます。
ちょうどアメリカから鉱石ラジオの第1便、2台が届いたのです。偶然居わせた徳次は、「これだ!」と迷わず1台を買って帰りました。さっそく所員たちとこれを分解して構造の研究に取りかかります。金属加工の技術は持っていても、ラジオの原理はおろか電気のこともまったくわからない素人ばかりです。
それでも部品ひとつひとつを分解しては、形と質を調べ、同じものを作れるようになり、ついに、自分たちの手で鉱石ラジオの組み立てに成功するのです。時はまさに大阪で放送が開始される2ヶ月前でした。仮放送を受信し、自分たちの手による第1号の国産鉱石ラジオから明瞭なラジオの音声が聞こえたとき、研究所の全員が肩を抱き合って喜び合ったといいます。
放送開始のこの機をのがさず、鉱石ラジオの生産・販売を開始。発売するや飛ぶように売れていきました。販売価格が3円50銭と、外国製品の半額以下というのも功を奏しました。
鉱石ラジオには「シャープ」の銘が冠されるようになります。受信感度を連想させるのはもちろん、徳次の胸の奥には、「シャープペンシル」時代への熱い思いが去来したに違いありません。

1925〜1928年