1937年

自身の不遇を思い、後進へ少しでも学びの場を

1937年2月、早川商工青年学校の開校式に際して、徳次は平素抱いていた夢の実現に、事業家とはまったく違う喜びを感じたと語っています。自身が幼い頃、学校で学ぶことができずに苦労したところから、工場で働く尋常小学校を卒業したばかりの従業員にも勉学の機会を与えたいとの思いが強く、将来の商工業の専門知識まで持ってもらえたらと、考えたのです。
第二次世界大戦前の当時、前々年に施行された青年学校令で工場や事業所での学校開設の気運が高まると、徳次はさっそく設立に動き、初年度には百数十人の生徒を入校させました。

1937年