1915〜1923年
「早川式繰出鉛筆」の発明
徳次は、養子先の出野家の子どもとして幼少期を過ごしました。しかし奉公時代の終わり頃、自身が養子に出されていたという出生の秘密を知ることになります。そして、独立、結婚、さらには事業の拡大と、順調に人生の歩みを進めていくうちに生き別れとなっていた兄姉と再会を果たします。早川姓にも復籍し、兄の政治(まさはる)と一緒に仕事をするようになりました。そんな兄が持ち込んだ繰出鉛筆の部品を作る仕事が、徳次のその後の人生を大きく動かし始めます。依頼を受けた内部部品の製作だけに満足せず、より高級で精度の高い繰出鉛筆を目指したのです。様々な工夫を重ね、ついに丈夫で美しい金属製の「早川式繰出鉛筆」が完成しました。