1950年

目の不自由な人への恩返し。特選金属工場を設立

幼い徳次を奉公先へと手を引いて連れていってくれたのは、近所に住む目のご不自由なおばあさんでした。
徳次はその手のぬくもりと温かい思いやりへの感謝をいつまでも忘れなかったのです。関東大震災のときにこのご婦人は行方不明になってしまいますが、この方と同じ目の不自由な方に「借りた恩をお返しする」機会が訪れます。
戦時中に、視覚障がい者を支援する機関の「日本ライトハウス」に講習を請われたことがご縁で、戦争で失明した方が働ける分工場を開設しました。
失明者の方の自立への強い思いに、技術者が熱心な指導で応え、苦労の末に、失明者の手でプレス加工などができるようになりました。徳次は「同情や甘えによるものでなく、自らが努力して乗り越えて得た幸せこそ、身についた安定した幸せ」と考えていたのです。この工場は1950年に障がい者が自ら経営する会社として独立。現在ではさらに発展し、多くの障がい者が、高度な技術を駆使して、シャープのモノづくりの一翼を担って活躍しています。

1950年