1954年〜

海を越えたビジネスの友は、やがて奉仕の友に

徳次がテレビ生産を計画した時に、その技術提携先となった米国RCA社の窓口は、極東支配人(後に副社長)のH・A・ストラウス氏でした。当初から良きビジネスパートナーでしたが、互いに引かれあい、年を重ねるごとにその友情は深まっていきます。親日家ストラウス夫妻とは、やがて家族ぐるみの付き合いが始まり、いつしか夫妻が毎年秋にたくさんのパッキングケースとともに来日し、徳次が園長を務める保育園の育徳園へクリスマスプレゼントを届けてくれる、そんな関係へと様変わりしていくのでした。
国が異なり、言葉も生活文化も違う彼らを固い絆でつないでいたのは、子供たちを笑顔にしたいと願う真心。そうした関係は20年も続きました。

1954年〜